大切な人を失う悲しみは、失ってから気づく
今日は、キャリアウーマンとは違うお話ですがどうしても書きたかった内容です。
6月22日に、元フリーアナウンサーの小林麻央さんが死去したと言うニュースが流れました。
また、市川海老蔵さんがその後、記者会見に。
その記者会見を観て、涙が止まりませんでした。
まだ、状況が混乱している中での愛する人を失った事を報告するというのは、勇気と強い気持ちがないと出来ないと思います。
お察し致します。
今日のニュースを観て、このタイトル『大切な人を失う悲しみ』とつけた時、私自身の事を思い出してしまいました。
私が22才の時、父が肝硬変で亡くなりました。
でも実は、私が小学校3年の時に、お医者様より『お父さんはそんなに長く生きられない』と言うことを母は言われたそうです。
それでも入退院を繰り返しながらも、私達の為にお仕事を頑張ってくれていました。
毎日薬を飲んで、嫌な顔ひとつせず、お仕事を頑張っていました。
そして22才の秋、父は身体が弱まっており仕事が出来なくなってしまいました。
そんな時、父からの突然の電話が有りました。
『お父さんね、仕事クビになったんだ。』と初めて父が泣いていた声を聞きました。
入院が長引き仕事の方も代わりの方をと思ったんだと思います。
ショックを受けている父に、『ゆっくり身体を直せるチャンスだよ!!お金の事は何も心配しなくていいんだから、いつも通りまた元気になってね。』と。
父は何度も危ないと言われた事が有りました。そのたびにお医者様がびっくりするくらい生き返るように、数値が安定して仕事ができるくらいになるんです。
守護霊が強いのかしら!?なんて冗談で母とお話ししていた頃が懐かしいです。
お医者様から最後の外出を許されたので、私は仕事を休み、父と母と3人で近くの温泉旅館に泊まりました。
父は普段お酒を飲まない人でしたが、お風呂上がり美味しそうにビールを``ごくごく``
と飲んでいたのを今でも覚えています。
次の日、本当は自宅に寄ってから病院に戻る予定でした。
家には父が可愛がっていた、ワンちゃんがいたからです。
でも、病院にすぐに戻りたい。と。。。
そこから、急変しました。
父は、とてもやせ細り筋肉がなくなり呼吸も自分では出来ず個室へと移されました。
親族も全員集まり、皆で見届けました。
もうだめだと思った時に、私は思わず『私達をおいてお父さん行っちゃうの?』と泣きながら言いました。
その声が届いたのか最後に力を振り絞って、父が目を開けました。
そして父が気にしていた母の事も、私は心の中で言いました。
『お母さんの事は、私達が守るし幸せにするから!!絶対約束するからね』と。
その後父は息を引き取りました。
最後に父と母と旅館に泊まれたことは良い思い出です。
そして私の事をいつも応援している父に、自慢の娘になっていたか?
また親孝行出来ていたのか?聞けてないのでわかりません。
そして9年経ち、今は悲しみよりも父には感謝しかありません。
父の事があってから、母を守るため私は『キャリアウーマン』になったのかもしれませんね。
そして海老蔵さん家族や麻耶さん親族、まだまだ実感が沸かないと思います。
お葬式も忙しいし泣いてる暇なんてないくらい。
でも終わった後、突然に失望感と孤独感に襲われます。
この気持は、大事な人を失った事がある人しかわからないかもしれません。
また残された家族として、今後どうしたら良いのか。
考えさせられます。答えなんてないけど生きていかなきゃ行けない。
悲しんでばかりいると、亡くなった人から怒られそうです。
今回自分の事も含めてとても心が悼む話だったので、書きました。
また今、家族や恋人・友人等自分にとって大事な人との悩みがある方。
人間っていつ亡くなる分かりません。
昨日までいた人が突然亡くなった。
そんな突然って事ないよ、若いうちにそうそう亡くならないよ。と思っている方。
失って初めてわかります。
そしてその後も後悔や、あの時どうしてあんなこと言って傷つけたんだろう。とか色々葛藤する日々が出てくると思います。
『いつでもあると思うな、お金と家族』と言う言葉があるように、今、反抗している気がすると思ってこの記事を観た方に、少しでも後悔しない日々を過ごしてほしいと思い書きました。
そして小林麻央さんのご冥福を心よりお祈りいたします。